せかいのはしっこ-協力隊日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。2023/8/3~延長期間経て2023/12/20帰国。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動していました。講演依頼等受け付けております。

子供たちへ繋ぐバトン

こんにちはらふです(*´ `*)
「子供たちへ繋ぐバトン」

 

ありがたいことに私は出前講座を2回目を迎えます。
出前講座とは、小中高校等のグローバル授業と
コラボしてJICAの協力隊員OBOGが
体験談等を話す授業、講座のこと。

 

私はこの出前講座の機会を頂けることが
大変ありがたいと思っています。
だって、私が協力隊を憧れた理由、
協力隊という存在を知ったきっかけは
当時在校していた小学校で協力隊に行かれた先生がいて
帰国した後にその先生の話を聴いたことがきっかけだから。

帰国前の任期集大成。ジンバブエの全教員養成校のICTの先生を集めて
ワークショップをしたときの写真

どこにいって、何をして、なぜそこにいったのか
というお話を体育館で聴く機会があって

 

小学生だったので、正直深くは理解できていませんが
小学生ながらにとても熱く熱く
「わたしも将来協力隊員になりたい」と思ったからです。

 

子供達に世界の広さを伝えたい。
世界各国のいろんなことを教えたい。
その先生が言った国の国名の由来。

 

そんな話を聴いていたら

こんなにも世界というものは広くて
国名に由来なんてあるんだ!
他の国ってどんな国なんだろう。

ものすごく興味関心が湧いたことは今でも忘れられません。

 

その先生のおかげで私は社会人になってから
協力隊員となり、出前講座2回目を迎えます。
1回目は高校生。
2回目の今回は中学生。

 

先生から受け取ったバトンを今度は私が渡す側。
誰かの心に残ると嬉しいなぁと思います。

 

では( ˙³˙)~
Toonana

協力隊で知った世界

「協力隊で知った世界」

 

こんにちは、らふです。( •̀ᴗ•́ )و ̑̑
渡航する前の自分は、
正直何も現実を知らなかった。
だってジンバブエの派遣にはなっていたものの
その時までアフリカ大陸には行ったことがなく
自分の足でその場所を知り得たことがない。

 

ネット、
教科書が全て。
私もまだまだ一部しか知らないけれど

 

その場所に2年半住んで
教科書、思い込みのネット書き込み、噂、
私はすべての世界でないと思った。

 

ジンバブエに特化した話ではありません)
貧しいことには歴史的な理由、背景があったり
今もなおうまく回らない経済には理由があったり
じゃぁそんな世界観で、治安悪いんじゃないかというところには
実はそんなに悪くない事実もあって
世界のどこかで何か起きると、
その国全部が危険地域なのかというとそうでなかったり
(そういうこともあるけれど、
全てに当てはまるわけではない)
お国柄、文化的な面による人間味があったり
アフリカンタイム、とは言われながらも
全てがそうではなかったり

 

日本は選挙離れが激しいけれど
国の政治って感じがアフリカではより一層感じられたり
各国による支援の良し悪しもあったり

 

色々現実があって
ほんとみんな、足を運んで
五感で感じ取って欲しい。

これ何の爬虫類?ジンバブエでみたカラフル爬虫類

そしてなにより、日本ってほんとに先進国なのか。
日本は進んでるでしょってたくさん言われてきたけれど
全然そう思えなかった。
確かに進んでいる面もあるけれど
失ったこともあって
先進国が素晴らしいことなのかもわからなくなった
というか先進国って何?ってなる自分もいて

 

世界と繋がる素晴らしさを感じたとともに

もっとフラットに世界と繋がりたい、
世界の今を発信できる人間でありたい
そう思った。

では⸜(  ⌓̈ )⸝

原点にあるアフリカ

こんにちは、らふです。( •̀ᴗ•́ )و ̑̑

 

首都圏でこんな家をみました。
インターホンがない家、
バケツでトイレを流す家、
サッシが歪んで隙間がある家、
蛇口からお湯が出ない家、
最近のフィルター式でない、扇風機の換気扇の家、
ブレーカー15Aの家。

 

ふるっ!日本でまだこんな家あるんだ、
とは思いつつ
住むとしたら私なら住めるかもしれない。
そう思えるのはジンバブエの経験が全て。

 

ジンバブエで住んでたお家もインターホンはなくて
用事があれば、ドアをドンドン叩く。
断水すればバケツで勢いよくトイレ流したし
隙間風はあったし
蛇口からお湯なんて夢だったし
換気扇なんてなくて、調理したら家中モクモクだったし
電気系3つ目を使うとブレーカー落ちる家だったし

 

だからこそ日本の新しいお家は
インターホンが録画式になってたり
トイレはもちろん流れるし、便座は温かいし
隙間風なんてなく密閉だし
帰国時の羽田空港のトイレで洗面でお湯が出てきたことに
大声でそうなくらいにビビったし
フィルター交換の静かな換気扇で
電気なんて眩しいくらいに使いまくりの日本。

自然の美しさはこんなもんじゃない。

便利なものに染まる怖さを改めて感じると共に
ライフハックをいつでも身につけていたい。
なんでもこなせる人でありたい、
便利なものに染まって、
天災等の緊急時にあるべき物がないことに対して
ストレスフルにならないような人間でありたいと
改めて思いました🥲

 

ジンバブエで得たものは大きかった。
ジンバブエは私にとっていつまでも私の原点。

帰国後のあるある、浦島太郎

「帰国後のあるある、浦島太郎」
こんにちは、らふです( ˙³˙)~

 

あけましておめでとうございます。
今年もボチボチゆるゆると投稿していこうと思いますので
宜しくお願いします。

 

海外協力隊関連の投稿をして
過去の隊員さんの、懐かしい、そうだった!とか
これから渡航される方にお役に立てると嬉しいです☺️
投稿内容へのリクエストもお待ちしております😆

 

任期を終えて、帰国フライト〜日本到着して
数日間の浦島太郎具合には自分も驚きました🫢
噂には聞いていたものの
なんせ、日本人と会話していると
流行りの単語とか、最近でいうチョコザップ
みたいなものがさっぱり分からないんです🤣
数年も日本を空けていたから。

 

私の場合、ほんとにたくさんあります😂

•レストランに導入されている料理を運ぶ機械猫
•Luup
•テレワークの進み具合にビビり
•新500円玉
twitter→X
•注文QRコード
とか書けばキリないですが、
もう何もかも目から鱗状態。
人の話についていくのもやっとです。(笑)

 

渡航するまで日本で普通に見たり
使っていたものにも2.5年ぶりだと感動もの。

 

動く歩道には感動するし
夜の街の電気の明るさ具合には驚くし
道路が整備されてガタガタなく綺麗なのにも感動
人口密度の高さにもビビるし

これはシンガポールの写真ですが、日本の明るさはまさにこんな感じ。
コンビニのパンの陳列も光っていたり、
こんなとこいる!?というところまで光っていたりして。

日本のビルの高さとその多さには萎えるし
(地平線からの朝日、夕陽、満点の星空の自然の美しさには敵わない)
飛行機の席パネルに、日本語がある違和感

 

何より、大声を出しそうなくらいに
日本に着陸して1番びっくりしたことが
トイレの手を洗うところでお湯出ること!😏
こんなトイレの時にお湯?!でんの?!という。
電車内の蛍光灯、一つも切れてないのすごいと感じたり
エスカレーターの立ち場所(右左)わからんとなったり

 

日本のインフラの電気の無駄遣い具合に萎えたり
日本人の歩く速さにびっくりしたり
学校の登下校の安全確認してる、制度の整い具合に感動したり。

 

そして日本人のサービスが行きすぎてて
そこまでする必要ある?と思うこともたくさんあるのに、
日本に住む日本人がカリカリしすぎて
そんなサービスにも文句を言っていたり

私も日本に住み慣れると同じようになるんだろう悲しさと

この全てが日本だな、という感じでした🫠

 

帰りのフライトでは、
もう母国語がショナ語かのように
ショナばかり話して、なんか通じてないなと気づくと
「あ、国際線だからジンバブエ人じゃない人いるのに、、」となったり。

 

日本に帰ってしばらくは全て
ジンバブエと比較して見てしまう目と頭。

きっと同じ思いをした人がいると思います🤭
Tonana( •̀ᴗ•́ )و ̑̑

イレギュラーだらけの途上国

こんにちは。らふです。٩( 'ω' )و

「イレギュラーだらけの途上国」

 

よく多くの方に
ジンバブエ滞在期間中、
日本に帰りたくならなかった?」
と聞かれます。
私は一度たりとも帰国したいとなりませんでした。

 

つまり全て順風満帆に楽しかったのか、
良かったのかと言われると
辛いことも悲しいこともたくさんありましたが
その全てが私にはプラスの経験として受け止められて
また、この経験は今後の人生もう出来ないだろうものばかりで
今しかできないこと経験をできていること、
それが私を幸せにしていました。
だから、帰国したいとは一度も思いませんでした。

これは任期後に行ったモロッコの砂漠。選挙と同じように、この先の世界なんてわからない

とはいえ、モチベーションのアップダウンはその分激しく、
そもそも当初の渡航スケジュール通りにならず
コロナ社会があり、
渡航が遅れ、
ワクチン接種でさらに渡航が遅れ
渡航しても隔離があったり
マスク生活だったり
コロナ前通りの活動ができなかったり
体調悪い=コロナ、的な雰囲気にどうしても世の中的になってしまったり

 

そもそもコロナ社会になり始めるときに
赴任していた先輩隊員たちは緊急帰国になっている訳で。

 

コロナ禍で、医療系の職種の方は
そもそも渡航が難しかったり
地方の隊員は医療レベルの問題で任地変更になったり
そもそも任国変更になる方も。
そもそも長期の渡航は、
プライベート面でもキャリアと言う意味でも
タイミング、がいかに大切か
タイミングに左右されることを痛感しました。
コロナでいつ赴任できるわからなくなったり
いろんな理由で致し方なく辞退する隊員も少なくなかったです。

 

そんな中で私は国も任地も変更にならずに
わりかし早い段階で渡航ができました。

まぁまずまずといったスタートを切り
山あり谷ありながら
配属先の意向で任期延長が決まりましたが
5年に一回の大統領選挙にぶち当たり…🌀

 

過去の選挙期間中の投稿↓

nzou-zimbabwe.hatenablog.com

nzou-zimbabwe.hatenablog.com

それは何を意味するかと言うと
情勢が変わる可能性が大きくあると言うこと。
日本みたいに平和に選挙は終わらないのです。
治安が変わり、任国にいることが
危険と判断されることもあります。
でもそれは選挙が行われるたびに
どうなるかなんて分からず。

 

2018年のジンバブエでの選挙は
なかなかひどかったようで
2023年も危惧されていました。
もしかしたら選挙の状況によっては
もう任国での活動ができないかもしれない、
任国にいることができても
活動的に制限する必要があるかもしれない、
生活スタイルが変わるかもしれない、

 

そんなことがいつ起きるかも分からない、
そんな葛藤でいっぱい。

 

私の場合、選挙がすんなり終わっても
電気が一定供給されない可能性もあり
コンピュータ技術として、
残りの任期をどう活動するのか、
どう転ぶかも分からない状況の中で
モチベーションの維持が難しかったです。

 

そしてそんなことを経験したが故に
国際協力の業界で、
彼らのために活動、勤務する難しさ、
タイミング、ということをヒシヒシと感じました。

 

だからこそ、昨年までジンバブエまでいれたこと、
任期を全うできた自分はラッキーというのか
わかりませんが
明日どうなるか分からない場所での活動において
今日という1日1日を必死で活動する大切さを身に沁みて感じるとともに
今を後悔しない生き方の素晴らしさを感じました。

 

ただ停電断水とか生活の、活動のイレギュラーではない
自分たちではどうしようもできない環境に包まれる環境での活動って
こんなにも難しいんだと感じた協力隊期間。

誰かに知ってもらえたら、
誰かに共感してもらえたら嬉しいです。

では( ˙◊︎˙◞︎)◞︎

自身にとって協力隊とは

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「自身にとって協力隊とは」

 

私は協力隊というキャリアが
小学生の頃からの夢でした。
でも
「ボランティアなんだから、
そんなの親の脛をかじってするもの」
「何言語も既に話せないと隊員になれない」
「夢物語」
そんな言葉を言われるようになり
いつの間にか諦めている自分がいました。

 

何年も経ってからやっぱり諦められないと思い目指すと
「俺より英語できなくない?それでいくの?」
「あなたに何ができるの?」

 

そんな言葉をたくさん言われましたが
その時には私はやるんだ🔥という
堅い思いで突き進み。

 

結果、私はJICA海外協力隊という活動に出会えて
幸せだったと思うばかりです。
ちなみに記載しているのは私の一個人の意見であります。
その点ご認識ください。

 

もちろん、この経験が合わなかった方もいます。
もはや悪口だったり、不満だったり、文句、
環境、文化、活動、色々合わずに任期短縮される方、
健康面で夢半ばに任期短縮せざるを得ない人もいます。
(任期満了までいるのが、任期短縮することが
全て良い、悪、という話ではない。)

 

アフリカという、なかなか出会えない大陸と出会い
国際協力業界の方々と知り合い
人間の起源の場所と出会い
いろんな宗教や人種、文化を知り、住み、活動し
停電断水、言語、いろんな生活スタイルの違いに
もちろんそんな環境に最初は戸惑い、
慣れてきたかと思えば、活動面で壁が。

 

泣いて、愚痴を言い、腹を立てたり
毎日同じことは起きなくて、
本当に喜怒哀楽の869日。

それでも、彼らと過ごして少しずつ前へ進もうと
お互い切磋琢磨、笑い合う日々が
幸せの極みでした。

これは帰国後に遊びに行ったお隣の国、モザンビーク
隣の国だから似た文化もありながら
占領国や海がある国、ない国という違いから
似通うようで違う、そんな国がほんとに面白くて
世界遺産モザンビーク島からさらに離島の島々の砂浜と海の透明度は

まさに天国のような世界観。
もう一度行きたい国ナンバーワン!

私にできたことはほんの少しかもしれない。
それでも私自身は
彼らと出会えたことが宝物で
アフリカという地を踏んだことで
今や近い存在に感じ、帰国してからも遊びに行って
アフリカ=貧しいという考え、味方を改められて
幸せの基準って何?って考えさせられた期間です。
むしろアフリカ=貧しい、熱い、不幸という一括り、イメージは何?
アジアってという味方はされないのに
アフリカという括りは何なんだろうとか。
日本の社会の授業、ニュースは
ほんの一握りの情報であるということ。
またジンバブエの今、それをブログを通じて
どなたかに知っていただけてたら嬉しいです。
もちろん私の感じたことが答えでもないし
正解があるとも思っていません。

 

協力隊通じて
積極性、物事を広く捉えること、コミュニケーション力、自分の目で見る価値観とか
色々養われたと思います。

 

渡航前に馬鹿にされた英語も
まだまだ上を目指したいですが
TOEICもかなり点数上がりました。
何より話す、聞く、読む、そんな英語に触れることを
拒まなくなった自分。
抵抗がなくなった自分に驚きます。
よく分からない、形のない「幸せ」のあり方を考え
2024は突き進んできました。
誰かに作ってもらう道より自分で切り開く道が
最高です。


小さい頃から協力隊というものに憧れていながら
途中から夢を捨てて普通に社会人になり
夢を叶えるまでに15年という遠回りをしましたが
だからこそこの経験ができたことに対して
かなりの価値を感じます。
むしろ夢に一直線だったら、
あんなにガツガツ活動できていなかったかもしれない、
そんな風にも思います。

 

国際協力業界の奥の深さ、
人によって捉え方の違い、
本当にいろんなものを目にしたからこそ
簡単にはなかなか語れないですが

 

ジンバブエと出会い、
隊員同期に出会い
国際協力業界の方々に出会い
私はその全てが宝物と思える程です!

Toonana( ˙³˙)~

帰国して約1年★

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「帰国して約1年」

 

かなり間が空いてしまいました。
皆さんご無沙汰しております。
お元気でしたか?

 

私はこの一年ブログから離れて
また、帰国して
このブログをやっていて良かった
また再開したい、
そんな気持ちにずっと駆られておりました。

 

この一年、JICAとは
任国事情説明会を2回担当させてもらい、
また出前授業をしたり
私自身、ジンバブエにまた行く機会があり
その際にそこのJICAの皆様と久々の再会。
また、先日JICAジンバブエが35周年を迎え
その際に投影されるビデオ撮影等々
色んな接点がありました。🌍

 

その他、私自身、高校の運動部の先輩が
協力隊員として2名活躍されており
国際協力とは無関係の部活なので
後輩にはそんな人いないかなぁ、と思っていたところ
卒業して以来に後輩から連絡が。
先輩のブログを読んでいて、アフリカに魅力されて
いつのまにか自身も協力隊員として合格をもらえたと。

 

任国事情の際も、ブログを拝見していますとか
言っていただいて
ブログを通じて、隊員活動の相談を受けたり、

私自身、このブログが誰かの役に立てば、
誰かの背中を押せれば
そんな思いで続けていたので
そんな方々がいて本当に泣けるほど嬉しいです☺️

7月に訪れたヴィクトリアフォールズ

帰国して一年、
日本国民でありながら日本に染まることが難しかったことが
我ながら衝撃です。衣食住、全て。

また、未だにジンバブエの皆様から連絡をもらったり
地震の度に安否確認してくれたり
感謝しても仕切れないほどです🥺

 

今ではもはや
私がジンバブエの何かに触れること、
メッセージでも音楽でもなんでも
ジンバブエの何かに触れると元気を貰えるほどに
かけがえのないものになっています🔥

 

このブログもそんなふうに誰かの支えになっていたら
嬉しいと共に
現役時代に投稿しきれなかったことはたくさんあるので
これからもまだまだ細く長く続けていければと思います😎

Toonana( ˙³˙)~