たった一度の人生
どーも!らふ(通称)です(´ー`)ノ
2020年から新たな人生を歩むに当たって
ブログを開設しました~。✨
これまで私の人生を振り返ったり
思ったこと書いたり
このブログのタイトル「このさきを」見つめられたら~、なんて思います。
早速本題。
人生って「たった一度きり」と、本気で思えている人は
どれくらいいるでしょう。
そうねぇー、一度きりだねーと軽くは思いつつ
明日死ぬことになったとき、悔いはないか
生きててよかった、と思えるか
老後に人生を振り返ったとき、自分の人生を誇らしく思えるか
そんなことを思ったとき、
「え、私はこのままは嫌だ」とすぐに答えが出ました。💣
とは言いつつ私も、人生一度きりだと認識して行動しはじめようと
思ったのは大学生の頃。
そう思ったきっかけは、
「東北震災ボランティア」
(この海が、町を飲み干した)
1ヶ月間岩手県釜石市のボランティア団体に所属し
仮設住宅で過ごす日々。
仮設住宅って、寒いんです。
床が冷たくて、風が吹くと壁がミシミシ鳴り響いて。(2~3月の経験)
夏は夏で蒸されて暑かった記憶が。
冬の積雪量はこの通り。(ブランコとか、埋もれていました)
夏は緑が繁る。
みんなでこたつ囲んで、地域の食材を食べたり
プライベートの話をしたり。
ボランティアという活動には、全国各地から人が集まります。
個々の人生経験も様々。💡
そんな時、同い年の東京の大学生に遭遇。
その子とは、ボランティアの活動内容は違いましたが
同じ仮設住宅で(隣の部屋!)過ごしていたので、
毎朝毎晩一緒。(自炊)
大学で何を専攻していて
何でこの場所に来たか
聞いたんです。
震災後に陸前高田に来て、この街が好きだ!なんとか貢献したい!
そう思ったようです。
ここまでは、誰もが似た経験あるでしょう。🙄🙄
彼女はこのあとの行動がアグレッシブでした。
大学でサークルを立ち上げ、月に一度、土日を使って
東京から陸前高田を往復。
地域の人から、ヒアリング、調査、依頼を繰り返し
空き家を利用し、ボランティアの方々が使えるような、家に変えたのです。😎
床の張替、壁の塗装、水回りの整備、看板作り
毛布の調達など、全部全部、サークルメンバーと
陸前高田で知り合った建築士の方と協力して。
彼女らももちろん、建築専攻。
そのあとも陸前高田のお店を特集したフリーペーパーを作成、発行。
フリーペーパーの人気が出て、
私の店も取材して!と声がかかるほどに。
こんな大学生、身近に出会ったことありませんでしたから
同じ大学生、同い年とは思えず、
自分の人生を恥ずかしく思いました。🙃🙃
前段長くなりましたが、
「このまま、やりたいことをなんとなく実施する人生は嫌だ、ダメだ!」
と思ったのは、彼女の影響。
別に大物になりたい訳じゃありません。
ただ、「できる限り若いときから、一人でこれだけ行動できていたら、
今どれだけ行動力がついていることだろう」👣
と思い、大きな遅れをとった!と感じたのです。
まずはじめに私が取り入れたのは、月1県外へ出ること。
6年くらい経った今も継続中、というか
もはや習慣になってしまいました。無意識に外へ目を向けるように。
外へ目を向けると、中に、殻に閉じ籠ったままでは
見えなかっただろうことが沢山経験できました。✈️
いまの自分って、大学生なりたてのとき
憧れていた自分なんです。
大学という殻に、地元という殻に閉じ籠もった環境で過ごすのではなくて、
自ら外に目を向けて、外で活動することが。
(釜石のジブリ:釜石鉱山とそこらに落ちてる鉄鉱石や銅を含んだ石)
今は、最終的な目標として
『人に憧れられるような、尊敬されるような人に成ること』
を掲げています。
また、いつか死ぬとき、
『この時代に、この地球に生まれてよかった』そう思えるように。
ではでは、また会いましょう(@^^)/~~~