せかいのはしっこ-協力隊日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。2023/8/3~延長期間へ。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動中。

私と協力隊との出会い

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「私と協力隊との出会い」

 

小学3?4年頃に話を聞いたことがきっかけ。

 

母校の私の学年担当ではない教員が休職から帰ってきた。
青年海外協力隊(現:JICA海外協力隊)として
南米エクアドルから帰国した教員だった。

エクアドル、という国の意味は、赤道直下の国。
私は、日本の教え子に世界の広さを伝えたくて
協力隊員として2年間、エクアドルという国で活動してきました。

 

そんな言葉を未だに覚えている。
世界の広さ、未知の世界を知る楽しさ、
子供たちのために自分の身の置場所を厭わないパッションに
全身震えるほどに感動し、
何をどうしたら海外協力隊員になれるか
当時はわからず、とりあえず
「将来、こんな人になりたい。」
青年海外協力隊員になりたい。
誰かにその経験をこの教員のように伝えられるようになりたい」
ということを強く心に感じたのを覚えている。

でもどんな分野でそれを経験したいのかとか
調べることは一切なく🤣

ワークショップの様子

高校生になって、
たまたま母校には協力隊経験者の教員がゴロゴロいた。
英語クラブに入ったり
縁あって国際協力のクラブにも途中から所属したり
忘れかけていた「青年海外協力隊」の夢がまた顔を出した。
当時の担任に進路相談で話すと
「英語、中国語、ロシア語話せるのか。」
「任地が戦地だったらどうするのか。骨をそこで埋めるのか」
「また親の脛をかじって生きるのか」
「もっと真面目に考えなさい。」
そんな言葉をズラズラと並べられた。

 

当時は生徒と教員という関係だったので
青年海外協力隊」になるには、狭き門で難しいのだろう、
夢のまた夢なんだろう、
先生のいうことが正しいのだろうと鵜呑みにし、諦めたのだった。

 

ところが社会人になり
私の人生は会社勤め一色の人生でいいのか、
遅くまで働き、片道100分かけて帰り、
家には風呂と寝るために帰り
また100分かけて通勤し、働くという日々に疑問を抱いた。

 

私はこの人生を60歳まで続けて満足するだろうか。
胸を張って、自信満ち溢れるだろうか。
「いや違う」
その答えは一瞬だった。

そのとき、またふと「あれ協力隊の夢あったやん」とよぎり
初めてちゃんと募集条件等を確認すると
「え!ワンチャン可能性ある!」

となり、志願し、合格。

 

協力隊に夢を抱いてから
15年程かけて掴んだ夢。
そのあとコロナ社会になり、あやうく彷徨いかけたが
やりきることができて本当によかった。

 

私が小学生当時にこの夢を与えたくれた先生に会えるなら
お礼を申し上げたい。
では(@^^)/~~~