せかいのはしっこ-協力隊日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。2023/8/3~延長期間へ。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動中。

私にとって協力隊とは

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「私にとって協力隊とは」

 

一言で表すと「宝」「努」「挑」「交」だろうか。
我ながらここまでやりきった自分に
よくやった、と言いたい。

 

異・住空間
異・食文化
異・言語
異・文化
異・気候
日本人一人の任地
異・働き方
異・治安

 

今日までの854日、本来なら730日、
2年間、全てが異なる環境に身を置くことはそう簡単ではない。
慣れ親しんだ誰かにすぐ頼れる人がいるわけでもなく、
そういう人がすぐ駆けつけてくれる人がいるわけでもなく
一人で現地の人と向き合う生活、活動。

 

赴任した当初は
そりゃ全てにおいて不安があったが
それでも何とかやりきるしかなかった。
だって日本人というしゃべりやすい、頼れる環境が
(物理的距離の)近くになかったから。

それでも住環境等、多くのことはすぐに慣れたし、
むしろ楽しむようになっていた。
海外で働くってこんなに楽しいんだ!
そんな風に感じていた。

 

でも現地の人と会話をしたり、活動を進めるうちに
一部日本と異なる仕事内容や
一部の異文化をどうしても受け付けられない自分や
2つの文化が居合わせているこの環境に
融合等の日本の文化を取り入れよう、やってみようという感じがなく
ここにいるから、ここの文化に従ってという感じや、

 

私は2年しかないが
現地の人にとっては長い人生の2年であることによる
活動目標へのスパンの違いや
一歩進んでは2,3歩下がっているように感じることに
理解してもらえず、苦しんでいた私に
間違ったことをしていないなら
たとえ後ろに下がっているように感じても
苦しむことはない、泣くことはない、
そんなことで泣くのは私が幼稚だとなってしまう感じが
とても辛くて心折れたり

 

協働というより上の者の指示に従うという
ジンバブエの厳しい上下関係や
私がいるからこそできることをやる、というより
いままでのICT科の通常業務を回すのが一番で
隙間時間で+αを少しずつしていけばいいという考えに
私はこんなことをしに来たのではないとなって
この熱量の違い?にたくさん苦しんできた。

 

それでも腐らず、完全には折れないように
必死に前に進もうとぶつかり、議論したりして
私が思うことを伝え続けて
多くのことは文化により却下されたが
それでもガツガツ進めてきたからこそ
成し遂げられたことは多くあるんじゃないかと思う。

 

日々のヘルプが多くて
毎日学内、早歩き、走りまくって
最後の最後まで移動を急ぐことは理解されなかったが
だからこそ、同僚(CP)や私のポストを募集してくれた教員、
その他諸々の教員たちに響く、心に残ったり
ジンバブエ人としては受け入れがたくても
「それがらふなんだ、日本人なんだ」とわかってもらえることも
たくさんあったようで、
送別会でこの2.5年の総まとめを教員や同僚に話されたことは
しっかり要約できすぎていて
鮮明に脳裏にそのときの出来事が思い浮かんだし
私が伝えたいことが刺さっていたんだと、
涙した。

 

「Work very very Hard」
'「Very Sociable」
「引き継ぐ」
「らふが何を変えようとトライしようとしていたか」
「現状の課題が明確化し、校長レベルで認識されたことによる
全ネットワークの張り替え」

 

同僚のお陰もあって
今では全スタッフ、全教員、計150人超え
私を知らない配属先関係者はいない。
私を数日見かけないだけで「どこ行ってたの」と言われる程
私はここにいて当たり前のような、
いちスタッフのような感じになれた。

 

たくさんうまくいかない、理解しあえないこともあったけど
笑かしてくれたのも、
私という存在を、性格を理解しようとしてくれたのも
ジンバブエ人で
ほんとに、ほんとにたくさん助けられて
たくさん笑かしてもらって
毎日心の底から笑わなかった日は何日あるだろうか?
というくらい笑顔に溢れる2.5年だった。

カウンターパートとJAPANシャツ
最後のワークショップ最終日にちゃっかりお揃い

泣いて笑って怒って、という
喜怒哀楽に忙しい2.5年だったが
こんなに充実して、
こんなに必死に
こんなに全力で限界に挑戦し続けた毎日
こんなに全力で毎日の彩りを感じようとした日々を
重ねられたことなんて、
これまでの人生にあっただろうか?という
宝物になった。
赴任当初の不安なんて嘘のように住めば都になった。

 

協力隊活動は、簡単じゃない。
自分で土台を作り、その土台をつくりながら
現地の人のために何かできないかとするところ。
土台が最初に整っているわけじゃない。

時には自分が苦手としていることにも挑戦しないといけない、
全てが異なる環境に慣れないといけない。
異なる環境に馴染んでなんぼ。
協力隊は、
自分のコンフォートゾーンから出て、
全力でコミットした先に
任国、任地、配属先と築ける新たな世界観が現れるものだと思う。
協力隊は任国を評価しに来ているのではないこと、
自分が任国に染まる力を持つべき事、、
多くに人と積極的に現地語で話すこと、

これらを大前提に心に刻みたい。

 

こんなに自分なりの方法で挑戦し続けられた、
輝き続けられた854日のジンバブエライフ。
私と関わってくれたジンバブエ人に最大限の拍手を送りたい。

では(@^^)/~~~