せかいのはしっこ-協力隊日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。2023/8/3~延長期間へ。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動中。

協力隊活動615/730日目

こんにちは。らふです(・ω・)ノ
「協力隊活動615/730日目」

 

朝食、シリアル...ってことで今日は少なめに。
1時間後にティー(昨晩残したチキンと)🍴

連日食べすぎてお腹空いてなさすぎて
今日はランチ抜きにしたものの
教員はランチ抜きとか耐えられずにつまみ食いを色々してらして
なぜそんなに食べられるのか....🫠

朝のシリアル

一時間後のティー。食べ過ぎてつらいので食パン1枚。

午後は知り合いの子供が腸癌で亡くなられたそうで慰問へ。
今まで、配属先の教員のご家族等亡くなられたときも
本来は慰問や葬式等に出席するべきものの
同僚の判断で一度も出席したことがなかったので
初めて。

 

葬式ではなく今回は慰問。
娘をなくされたお母様や娘さん兄弟に対して
訪問者全員が号泣している中、
なにもできない私は逆に辛かった....。
直接訪問できない人は、電話で悲しみを伝えており
スマホがずっと鳴り響く....

 

お母様は90歳、南アフリカの人で
ジンバブエ人の看護師と結婚して1962年にジンバブエにきたそう。
ジンバブエの暮らしはどう?と言われて
「楽しんでます」と伝えると
ジンバブエのなにがいいのかい
私たちはこの生活に苦しんでるだけだ」と。
経済がよくなさすぎる、ということだそうだ。
ジンバブエ人と話して
初めてsufferingという単語を聞いたかもしれない。

 

これまでほんとに多くの人に
ジンバブエはどうだ?と聞かれたものの
質問してくる彼ら自身がsufferingと言ってくることはなかった✋️
時と場所を考えて、私も発言しないと
失礼に当たるのかもしれない、と思った。
特にお母様は南アフリカ人、ということもあり
ジンバブエを第3の視点で客観視して言ったのかもしれない。

 

慰問に来られた方の一人の男性は92歳。
私の配属先はジンバブエ独立前の1976年に開講。
1977年から4年間、教員として勤務されていたそう。
なんともまぁ、そんな方に偶然お会いできるとは光栄。
当時のオフィス場所とかお話しいただけて
色々オフィスが移動していて面白かった🤭

 

夕方、ここ数日ネットワークの調子が悪かったので
ようやくブログ更新。2件。
これまではネットワーク調子悪くてもどうにかあがいて
翌日中にはアップしていたものの
そういうことが理由でアップできないのも
ジンバブエ生活の醍醐味だなと思い始めて
無理して翌日中になんとかあげるスタイルを
ここ数ヶ月止めておりました😂
それでも朝起きて停電していたら
サーバールームのバッテリーがあるところにわざわざ行き
upsで稼働しているWi-Fiの元で投稿したりしているのですが🤪

 

晩御飯頂いて就寝。

鶏のレバーとトマトタマネギソースとマヨキャベツとごはん

では(@^^)/~~~