せかいのはしっこ-協力隊日記-

JICA青年海外協力隊 2019-3次隊(2021-7)ジンバブエ共和国派遣。(COVID-19により出国遅延。2021/08〜)コンピュータ技術。2023/8/3~延長期間へ。教員養成校にて、PC/NWの修理/管理や授業等で活動中。

協力隊活動855/730日目+α

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「協力隊活動855/730日目+α」

 

①11月末に撮影した動画データのコピー作業
②移動したデスクトップのwindows更新作業
③ict管理資料の更新
④pcルールの張り紙の続き

休み期間もまだティーが出るらしい🤣🤣
驚きしかない。

私は最後のティーかな

なかなか直らない教員の友達のlaptopのwifiについて
その家に来て、直してほしいと言われたが
そのlaptop、超絶動きが遅い、かつ
もうそんな家にまで行って対応している暇が1mmもないので
お断り✋️
教員かスタッフの子どもが来て
「あなたはらふ?」と聞いてlaptopを持って完全に
なにかしてほしそうに私の場所に来たが
ほんとにもう配属先関係者の子どもや家族のICTあれこれを
対応している暇はない。

 

教員から家での朝御飯招待されたり
お泊まりも呼ばれたりもしているものの
もうほんとにそんな時間がもうない💦

また、副校長の奥さんが校長をしている養護学校にて
ictヘルプ呼ばれたがほんとにする時間がないので
それも無理😇

ルールの張り紙をせかせかと

今日はLANケーブル通すための穴を電気技術者が持つ
ドリルで作ってもらう予定だったが
約束した時間に待てど待てど来なくて
もう出掛けた先で、どこにいる?と電話あったので
今日は延期🙃

 

今日は午後からお偉い教員2人が
私とのお別れ会的な感じでGOCHI GOCHIしてくれて
豚やソーセージ、野菜、サザ、ビールを奢ってくれて
いざ場所につくと、ランチしているadminスタッフがいて
2人も参戦して一緒に楽しい時間を過ごし、
そのあとは3人でお酒を飲みまくり
私の活動について話したりしてまた泣けて😭✨️

Mkoba6, Mkoba1と。最後に両方訪れられて良かった

そこで撮ってもらった写真が
もう見たことないくらい私自身も教員二人も楽しんでいて
最高すぎる半日休暇😆🙏
帰宅すると同僚の息子娘がきて、少し会話して
夜は同僚が
Can’t believe you are going for good
ってメッセージが来て
この2.5年でいい関係を築けたのだなぁとほんとに思う。

同僚の娘が半分くれました。
まさかのシナモンロールちゃん。

では(@^^)/~~~

協力隊活動854/730日目+α

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「協力隊活動854/730日目+α」

 

同僚デスクトップpc修理
どうやらメインボードが死んだみたい。
なんでこのタイミングで壊れるのやら🌀🌀🌀
取り替えたデスクトップのディスクプレイヤーが
うまく動かないのでまたそれだけ取り替えたり💦

 

調査団がまた来た。
前回終わったのかと思ってたら
前回はadminにしか来なかったらしい。
掃除スタッフは私が調査団の対応しろというが、
そもそもそれは掃除スタッフの仕事かつ、
私は最後の業務調整に出勤しに来ているのに
そんなことを頼まれていたら終わらない😞

 

admin担当者に聞くと私はしなくていいと言いやはり✋️
それもなぜいつも同僚とか不在の時にくるのやら、
タイミング悪すぎて萎える🙃

オフィスの片付けも。
物が見えると教員がオフィスに来たら俺に私にくれ、となるから
隠さないといけないと言われたし、そうなるのもこの2.5年でわかったが
隠したら結局掃除下手な感じになって、いづれ我々のオフィスが汚くなるんだよなぁ

そして2019年に記されているlaptopのことなんて
私が知るはずがないのに、私がなぜ知らないんだと言われても
配属する前の機器なんてしらぬ😇
同僚とは技術者がきたら、
新たに調査団用のbookletを作り直しすると聞いていて
2.5年かけてようやくここまでたどり着いたって感じ🔥

 

車のオーディオがあーだこーだ言われたものの
時間がないのでまた今度~。

③図書室にてラベリング
④pc室にて移動が発生したpcにラベリングしたり
同僚と話した結果、pc室ルールの張り紙を増やすことになり
その張り紙を~💪✨️
⑤教員laptopの子供の宿題でvisual studioがいるが
エラーが起きててとかなんとかで対応したり。

サーバ室内でのPCの置き場所を明確に

PC室ルール張り紙追加

送別会してもらった後、かつ、
学校休暇期間と思えぬくらいに
私もadminもバタバタで
とりあえず活動面でやりたいこともあるものの
最後の思い出に行きたいところもあるので
午後3時間ほどドロン😆

 

2USDサザ食べたり
ぎりぎりマンゴーの季節に入りかかったので
マーケットでマンゴー買ったりして帰宅。
⑥掃除スタッフの義姉のgmailヘルプしたり
副校長からデスクトップのウイルス対策いれろって、
電話が来たが、あるかどうか確認してから言ってほしいなぁ💦
⑦校長室のプリンターエラー対応して

2usdサザはやっぱりいつもの2倍の美味しさがある。
大好きなSTONEYと。

その後ずぼらして爪楊枝ぶちまけた

線路写真撮ったり

マーケット散歩

17:30頃帰宅。
他国の同期とオンライン電話したり
⑧管理資料の付け足しをお願いされたので、資料追加作業x2

お疲れ様モードでお酒を飲んだりして就寝😊

服とか折り紙とかあげた教員の子どもがXmasカードやお別れカード、
ハートのブレスレットをくれて、
ほんとに感謝

では(@^^)/~~~

私と協力隊との出会い

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「私と協力隊との出会い」

 

小学3?4年頃に話を聞いたことがきっかけ。

 

母校の私の学年担当ではない教員が休職から帰ってきた。
青年海外協力隊(現:JICA海外協力隊)として
南米エクアドルから帰国した教員だった。

エクアドル、という国の意味は、赤道直下の国。
私は、日本の教え子に世界の広さを伝えたくて
協力隊員として2年間、エクアドルという国で活動してきました。

 

そんな言葉を未だに覚えている。
世界の広さ、未知の世界を知る楽しさ、
子供たちのために自分の身の置場所を厭わないパッションに
全身震えるほどに感動し、
何をどうしたら海外協力隊員になれるか
当時はわからず、とりあえず
「将来、こんな人になりたい。」
青年海外協力隊員になりたい。
誰かにその経験をこの教員のように伝えられるようになりたい」
ということを強く心に感じたのを覚えている。

でもどんな分野でそれを経験したいのかとか
調べることは一切なく🤣

ワークショップの様子

高校生になって、
たまたま母校には協力隊経験者の教員がゴロゴロいた。
英語クラブに入ったり
縁あって国際協力のクラブにも途中から所属したり
忘れかけていた「青年海外協力隊」の夢がまた顔を出した。
当時の担任に進路相談で話すと
「英語、中国語、ロシア語話せるのか。」
「任地が戦地だったらどうするのか。骨をそこで埋めるのか」
「また親の脛をかじって生きるのか」
「もっと真面目に考えなさい。」
そんな言葉をズラズラと並べられた。

 

当時は生徒と教員という関係だったので
青年海外協力隊」になるには、狭き門で難しいのだろう、
夢のまた夢なんだろう、
先生のいうことが正しいのだろうと鵜呑みにし、諦めたのだった。

 

ところが社会人になり
私の人生は会社勤め一色の人生でいいのか、
遅くまで働き、片道100分かけて帰り、
家には風呂と寝るために帰り
また100分かけて通勤し、働くという日々に疑問を抱いた。

 

私はこの人生を60歳まで続けて満足するだろうか。
胸を張って、自信満ち溢れるだろうか。
「いや違う」
その答えは一瞬だった。

そのとき、またふと「あれ協力隊の夢あったやん」とよぎり
初めてちゃんと募集条件等を確認すると
「え!ワンチャン可能性ある!」

となり、志願し、合格。

 

協力隊に夢を抱いてから
15年程かけて掴んだ夢。
そのあとコロナ社会になり、あやうく彷徨いかけたが
やりきることができて本当によかった。

 

私が小学生当時にこの夢を与えたくれた先生に会えるなら
お礼を申し上げたい。
では(@^^)/~~~

私にとって協力隊とは

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「私にとって協力隊とは」

 

一言で表すと「宝」「努」「挑」「交」だろうか。
我ながらここまでやりきった自分に
よくやった、と言いたい。

 

異・住空間
異・食文化
異・言語
異・文化
異・気候
日本人一人の任地
異・働き方
異・治安

 

今日までの854日、本来なら730日、
2年間、全てが異なる環境に身を置くことはそう簡単ではない。
慣れ親しんだ誰かにすぐ頼れる人がいるわけでもなく、
そういう人がすぐ駆けつけてくれる人がいるわけでもなく
一人で現地の人と向き合う生活、活動。

 

赴任した当初は
そりゃ全てにおいて不安があったが
それでも何とかやりきるしかなかった。
だって日本人というしゃべりやすい、頼れる環境が
(物理的距離の)近くになかったから。

それでも住環境等、多くのことはすぐに慣れたし、
むしろ楽しむようになっていた。
海外で働くってこんなに楽しいんだ!
そんな風に感じていた。

 

でも現地の人と会話をしたり、活動を進めるうちに
一部日本と異なる仕事内容や
一部の異文化をどうしても受け付けられない自分や
2つの文化が居合わせているこの環境に
融合等の日本の文化を取り入れよう、やってみようという感じがなく
ここにいるから、ここの文化に従ってという感じや、

 

私は2年しかないが
現地の人にとっては長い人生の2年であることによる
活動目標へのスパンの違いや
一歩進んでは2,3歩下がっているように感じることに
理解してもらえず、苦しんでいた私に
間違ったことをしていないなら
たとえ後ろに下がっているように感じても
苦しむことはない、泣くことはない、
そんなことで泣くのは私が幼稚だとなってしまう感じが
とても辛くて心折れたり

 

協働というより上の者の指示に従うという
ジンバブエの厳しい上下関係や
私がいるからこそできることをやる、というより
いままでのICT科の通常業務を回すのが一番で
隙間時間で+αを少しずつしていけばいいという考えに
私はこんなことをしに来たのではないとなって
この熱量の違い?にたくさん苦しんできた。

 

それでも腐らず、完全には折れないように
必死に前に進もうとぶつかり、議論したりして
私が思うことを伝え続けて
多くのことは文化により却下されたが
それでもガツガツ進めてきたからこそ
成し遂げられたことは多くあるんじゃないかと思う。

 

日々のヘルプが多くて
毎日学内、早歩き、走りまくって
最後の最後まで移動を急ぐことは理解されなかったが
だからこそ、同僚(CP)や私のポストを募集してくれた教員、
その他諸々の教員たちに響く、心に残ったり
ジンバブエ人としては受け入れがたくても
「それがらふなんだ、日本人なんだ」とわかってもらえることも
たくさんあったようで、
送別会でこの2.5年の総まとめを教員や同僚に話されたことは
しっかり要約できすぎていて
鮮明に脳裏にそのときの出来事が思い浮かんだし
私が伝えたいことが刺さっていたんだと、
涙した。

 

「Work very very Hard」
'「Very Sociable」
「引き継ぐ」
「らふが何を変えようとトライしようとしていたか」
「現状の課題が明確化し、校長レベルで認識されたことによる
全ネットワークの張り替え」

 

同僚のお陰もあって
今では全スタッフ、全教員、計150人超え
私を知らない配属先関係者はいない。
私を数日見かけないだけで「どこ行ってたの」と言われる程
私はここにいて当たり前のような、
いちスタッフのような感じになれた。

 

たくさんうまくいかない、理解しあえないこともあったけど
笑かしてくれたのも、
私という存在を、性格を理解しようとしてくれたのも
ジンバブエ人で
ほんとに、ほんとにたくさん助けられて
たくさん笑かしてもらって
毎日心の底から笑わなかった日は何日あるだろうか?
というくらい笑顔に溢れる2.5年だった。

カウンターパートとJAPANシャツ
最後のワークショップ最終日にちゃっかりお揃い

泣いて笑って怒って、という
喜怒哀楽に忙しい2.5年だったが
こんなに充実して、
こんなに必死に
こんなに全力で限界に挑戦し続けた毎日
こんなに全力で毎日の彩りを感じようとした日々を
重ねられたことなんて、
これまでの人生にあっただろうか?という
宝物になった。
赴任当初の不安なんて嘘のように住めば都になった。

 

協力隊活動は、簡単じゃない。
自分で土台を作り、その土台をつくりながら
現地の人のために何かできないかとするところ。
土台が最初に整っているわけじゃない。

時には自分が苦手としていることにも挑戦しないといけない、
全てが異なる環境に慣れないといけない。
異なる環境に馴染んでなんぼ。
協力隊は、
自分のコンフォートゾーンから出て、
全力でコミットした先に
任国、任地、配属先と築ける新たな世界観が現れるものだと思う。
協力隊は任国を評価しに来ているのではないこと、
自分が任国に染まる力を持つべき事、、
多くに人と積極的に現地語で話すこと、

これらを大前提に心に刻みたい。

 

こんなに自分なりの方法で挑戦し続けられた、
輝き続けられた854日のジンバブエライフ。
私と関わってくれたジンバブエ人に最大限の拍手を送りたい。

では(@^^)/~~~

協力隊活動853/730日目+α

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「協力隊活動853/730日目+α」

 

気持ちよく寝すぎて
(寝るのも遅くて)
二度寝後起床したら8時でびっくり。

バタバタ準備して
新隊員に任地のタウンやローカルを案内して
終えたのが昼過ぎ✋️

任地のXmas

今更、任地で初めて(ジンバブエ人cookingだけど)
チャイニーズフードを食べられる場所を発見

別れが近い任地よ
私はここが任地で良かった。まじ最高。
みんな私の任地は何もないって言うけど、
遊びにも来ないのに何も決めるんじゃねぇ!

コンビ乗るのもあと何回?

教員何名かが、俺はこれから実家帰るからって
家にまで挨拶来てくれたり、本当に2.5年ありがとう。
らふのこと、ずっと忘れないからなって。

ジンバブエのセロテープ、太さが極端なんよ。間!間をくれぇ

そして昨日の夜から復電していたものの
UPSバッテリーが既にゼロだったため
自動供給に失敗して
Wi-Fiがない状態だった為
朝から元副校長や校長に電話しまくり
サーバー室で作業をし、

教員に用事で家お邪魔したら、バターナッツとバナナを頂きました

そのまま同僚であるカウンターパートへ
引き継ぎを1時間行い、帰宅😂
意外にもまだまだたくされたことがありすぎて
明日からやっつけなければ💦
でもそれくらい、必要だと思ってくれてて
またそれを覚えてくれてて嬉しいなと思う。

 

掃除については、
技術者が勤務しに来たら、
掃除スタッフを解雇して
技術者と環境整えることをする予定だそうで
とりあえずわかってるから、なにも言うな
だそう😏
PC室で最後に同僚と一枚パシャリ📸


教員やかわいい子どもまでお世話になった教員には
残った折り紙や私の服が詰まった服を渡して。て
そして最後の最後まで
子どもの宿題のソフトのインストールヘルプされたので
明日それを対応することに🤣

思い出の服も

帰宅してからは昨日も停電+そのあともWi-Fiなかったので
やることがたまっていて
パソコンカタカタしながら
風呂の湯沸かしたり、掃除したりバタバタ🤣
夜に同僚と最後の酒を交わしながら
同僚が忘れ物したものを一緒に取りに行き、
そこでもしかしたら最後、
任地では確実に最後のハグをして
同僚も泣いてる感じが感じられて
ほんとにMiss youだと思ってくれてる感じが伝わって
らふの家族によろしくなって言葉を残して
ハグ終了。

同僚との最後の酒はこれ。

pc室の鍵がついた紐たち。
私に最後託すときにGOLD PRIZE, SILVER PRIZEと言って託してくれた。
本当に本当にありがとうね。
カウンターパートがカウンターパートじゃない2.5年なんて
想像できないくらい思い出つまってる。

同僚と走り続けた2.5年に幕を。
同僚の院生としての学期試験があるために
突如早まったお別れ。
ほんとにありがとう。
この言葉に尽きる。健康に気を付けて長生きしてほしい。

では(@^^)/~~~

協力隊活動852/730日目+α

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「協力隊活動852/730日目+α」

 

昨夜久々にお酒を飲んだ、かつ、
送別会という区切りを迎えたことで
スッキリ寝ることができて
生徒はもう実家に帰ったので久々に寮内が静かなのに
目覚めよく5時代に起床✋️
夏なのでもう、太陽おはようさん。

 

朝からスーツケースパッキングして
あと1週間程着る服だけがパッキングされてないが
ほぼ9.7割完了💪😏
頂き物、誕生日や送別会の品が
割れ物or重いorでかい、かさばっていて
それが一番悩みの種🤣
昨日いただいたものは同僚が朝から1.5時間で
タウンで急いで買ったらしく
今年の誕生日プレゼントもそんな感じだったので
プレゼントってそんな急ぎでパッパッと買えるもの?!
と驚く🤪

 

8:23停電。
選挙終わりの影響なのか、
最近電気の調子が悪すぎる🌀
ほんと、電気あるうちに
ガツガツ活動進めていてよかったと思うばかり。
去年の11月くらいまでこんなことになるとは思わず
たまたまやることがたまっていたので
早く終わらせようとやっていたが
もししていなかったら今ごろ大変だった🫠

 

今日は午前中、州代表の野球チームの練習を見に行き
ぽかぽか陽気で木陰で座っていたら
うとうとしてしまう😆

こんな風景も残りわずか

道具をほんと大切に使うようになって感心

昼過ぎに帰宅して、同僚が来たので
ボチボチ整理していた、
同僚にあげられるものをまとめてプレゼントしたが
もらえて当たり前感がなくはなく、
心なしか残念だが仕方ないよね🌀
それが文化と言われれば、なにも言えない。
日本にあってここにないものを
なぜ持ち帰るんだ、置いていって当然だという感じになり
「(いつもすぐ失くすんだから)失くさずに大事に使ってね?」
と伝えて🙃
けん玉やお箸もほしいと言われたのは
正直ビックリだが、それくらい私と2.5年間過ごして
それに思い出がある、ということだと思うし
私を覚えるための思い出品として何でも欲しい文化
なのは知っているけど
2つとも遊んだり使い続けてくれたら嬉しいなと思う🙂
(けん玉は私の趣味でジンバブエに来るために
買い直したので、帰国する際に持ち帰るつもりだったが
これで彼らと日本の文化が少しでも繋がれるなら、
嬉しいなと思い、あげることに🙏)

 

ライトもほしいと言われたが
既に3つあげているので、
ひとつだけあげて、もうひとつは断った😐
(断った方はどうせ電池なので、
なくなれば彼らに使われなくなる品)

•グリスやpc解体作業時のリストバンド
•ヘッドライト
•ハンガーx15
•ゾウ印ステンレスボトル
•おはし
•けん玉
•電池x15
•電源変換プラグ、延長コード
•LANケーブルx4
スマホ充電ケーブル
•ミニノート
•日本のボールペンx2
•でっかいプラスチック鞄

•タッパー、保管容器x2
•IT本

•ゴム手袋

二つとも使ったこともないし、存在も知らなかったし
ジンバブエにないこともしってるが故に
授業で見せたり、実際に使って欲しい。
要するに無くさないでね?

技術補完研修で頂いた本も
Google Lens使えば彼らも翻訳して読めるので

あげました

そのあと、貰い物の靴は履いて汚れていたので洗ったり
化粧水が入ってた容器は酸化して
ベタベタしていたので洗ったりして。
同僚と任地で会えるのはあと1日。
突然のタイムリミットにまだ動揺を隠せない🙄

洗いまくり~

予定していたBBQが教員の予定によりなくなったので
同僚と隊員と3人でレストランにいって
美味しく肉のプラッターを囲んで食べたり🍴
横の会場で無料のクラブが開催されていたので
ちょこっと顔を出したり(10分ほど)
同僚との限られた時間を最大限に楽しむ😆✨️
帰りの車のなかで爆睡したけどね。
2日連続で夜時間を私に割いてくれたのは
同僚なりの配慮だなぁとすごく感じた。

時間よとまれと思った瞬間

21:13復電。
夜には、SEX WORKERの人たちがいるらしく
そういう人たちは夜にどういう服装しているのか
車で素通りしてみせてもらったが
ホテルの前で、まぁ夜だとそれ寒いでしょという
日中ならありそうな服装ではありつつも、という感じ🤔

では(@^^)/~~~

協力隊活動851/730日目+α

こんにちは。らふです(ノ・∀・)ノ
「協力隊活動851/730日目+α」

 

同僚は私の鞄から借りたテープを紛失したらしい。
ほんとに簡単にすぐ物を失くすから勘弁してほしい😞 
①校長室にて新しいプリンターを買ったそうで
そのセッティングやドライバーインストール
②人事課のlaptopエラー対応するも直せず

オフィシャル校長来てから、デスクトップPCやプリンターが
とんとん新しいのがきてすごいなぁ

私の送別会スペシャティー🍴✨️
同僚や私のポストを募集してくれた教員、
ICT課等、他教科を束ねたトップの教員から挨拶、
その他数人の教員が私に向けての挨拶をしてくれて
副校長はいつものごとく、話を盛って
校長は変わったばかりなのに、
私をすっかり受け入れて娘だなんて言ってくださって

 

私のポストを募集してくれた教員からは
この2.5年の要所要所をつまんで
話してくれて、それがしっかりポイントを押さえられてすぎて
驚くくらいに完璧で、懐かしさと面白さがあって
最高なスピーチだった。

 

正直泣くつもりなかったのに
先日電源ケーブルが抜かれていた件で
同僚に私の心を読まれていて
この2.5年努力してきても、いまなお
こんな低レベルことが起こるのはどういうことか、
と辛くなったことも全て心のなかを読まれていたらしく
まぁその辺も含めてこれまでの全てを通して
らふがいなくなっても、
らふがしてくれたこと全てを引き継ぎやっていく、
と言われたが、
まぁその言葉は信じられないなと思っているのに
何故か分からないけど涙が溢れた😭

この2.5年、ほんとにほんとに
山あり谷ありで楽しくもあり苦しくもあり
イライラもあり、嬉しいこともあり、現実を見たり、
常に全力でいようとし続けたからこそ、もがいたり
日本とジンバブエの文化のそれぞれいいところを受けとる
というよりかは、
ジンバブエの文化はこうだから、こうしろ!というものも
すごくあったり、
ゴールに到達できないこの悲しみというか、
はかなさというか、
なんでこうも1歩進んでは2歩戻る感じなんだろうというか
自分のなかで凄く葛藤があるものの
彼らのなかでは長い人生で突如きた私の2.5年間は
まぁぼちぼちうまく進めればって感じで
歯車のスピードがあってないことによって
私の気持ちを理解してもらえなかったり、
とても難しかった🌀
それでもジンバブエでそれだけいろいろあっても
助けてくれるのもジンバブエ人で

 

副校長には帰りたくなったらここでいつでも
受け入れる体制はできてるから、と言われて
たくさん思い出のつまった、
ここに働く教員/スタッフの愛のつまった場所、
私が必死に努力をしまくったこの環境から
ついに離れる、
皆とお別れをすることに
とても心苦しくて
私ここでよく2.5年間、ずっと理解されなかったこと(一部)も
それでも必要なことだからと一人で走り続けたなぁと、
自分ここまでやりきったんだ、やりきれたんだ、
皆に感謝されるくらいよくやれたんだと思うと
ほんとに自分よお疲れ様、
という思いが涙に現れた気がする🫠

頂いたものたち

私のために、たっくさんの教員やスタッフが集まってくれて
集合写真を撮り、皆でティーをして幸せ空間だった🥺✨️
私にたくさんのプレゼントまで用意してくれて
ジンバブエ文化を忘れてもらわないための物が
たくさんつまっていて、
物が大きくて
むしろどうやって持ち帰ろう?となっているところ💦

私のためのティーありがとうございました。

③教員のlaptopのカメラ機能の確認
12:46停電。19:13復電。

teloneがきてくれて作業してくれたが
結局トラブルが複雑たっだようでまた今度。

夕方から同僚と隣に住む教員と隊員と
配属先近くの場所でBBQして🍗🙌
久しぶりに同僚とお酒を交わしたなぁ。
最後の最後まで、
酔った変なおじさんから絡まれて
救ってくれたのは同僚🥺

任地のXmas感。コワイ

エイズdayだったらしい

同僚と教員と隊員と

聞くと同僚とは次の日曜で私と過ごす最後の日らしい。
え?まじ?
色々予定狂うんだが🌀
彼らも彼らの生活スケジュールがあるので仕方ない。
同僚とお別れの日がもうあと2日しかないなんて
無理なんだが✋️😭

帰宅後、せっせとパッキングして。

では(@^^)/~~~